たしぎは、瞼の裏まで入り込んでくるような明るさに
眉をひそめた。
眩しい。
目を開くと、すっかり高くなった陽光が座敷の奥まで差し込んでいた。
たしぎががばっと身を起こすと、細君が用意したであろう朝食が
隣の部屋の食卓に並べられていた。
味噌汁のいい香りが、空腹を刺激する。
「お、おはようございます!」
寝乱れた浴衣の襟元と裾を直すと、キョロキョロと辺りを伺った。
ところどころに残る鬱血した痕に、自然と頬が熱くなる。
たしぎは、ぶんぶんと頭を振って、立ち上がった。
シーツをはがし、布団をたたんでいると
台所の戸が開いて、細君が顔を出す。
「よく眠れた?」
「はいっ!」
ご飯と湯気のたったお椀をのせたお盆を手に、
細君が食卓の前に姿を現した。
「すっ、すいません、こんな遅くまで・・・」
「いいのよ。」
「あの・・・」
「もう出たわよ。」
何も聞かないうちに、ゾロのことを教えてくれた。
「はぁ。」
この場にロロノアがいたとしても
どんな顔をしていればいいのか、見当もつかない。
これでよかったのだと、たしぎは思った。
「さ、たしぎさん、朝ご飯どうぞ。何もないけどね。」
「いえ、そんな!」
パタパタと着替えと済ませ、食卓の前に座った。
「いただきます。」
手を合わせ、顔をあげる。
「あ、ご主人は?」
「もう、仕事場よ。なんだか、張り切っちゃって、
夜が明ける前から、起き出して始めてたわ。」
夜明け前と聞いて、
たしぎは、あいまいに笑うと、箸を取った。
温かい味噌汁とご飯の美味しさに、
満ちたりた気分になった。
******
手入れの終わった時雨を主人から受け取ると
たしぎは、二人に深々と頭を下げた。
「山道を行ったらいいわ。もう咲き始めた頃だから。」
細君が指差す先には、ほころび始めた桜の木々が見えた。
ほんとだ。
何度もお礼を言い、研ぎ屋を後にした。
ゆっくりと山道を登っていくたしぎの後ろ姿を見送りながら、
夫婦は目を細めた。
「幸せになるといいな。」
「あら、もう十分、幸せですよ。あの二人は。」
「・・・あぁ、そうだな。」
「ひと息いれませんか?あなた。」
「そうだな、お茶、淹れてもらおうか。」
「はい。」
細君の微笑みに、主人も顔を緩める。
二人は、振り返ると屋敷に戻っていった。
遠くでうぐいすの鳴き声が響く。
******
山というより小高い丘陵のようななだらかな道が続いていた。
たしぎは、二人に教えられた通りに
山中の一本道を進んでいた。
桜の木は、綻び始め、濃い桃色の蕾達の中に
薄紅色の花びらを見せ初めていた。
花と枝の間から、垣間見える晴天は、すっきりと澄み渡っている。
もう、すっかり春だぁ。
たしぎの顔も、自然とほころびる。
色の濃いのは山桜だろうか。
様々な種類の桜を見上げながら、
そよ風が心地よく、たしぎの心は軽やかだった。
上ばかり気にしていて、足元に注意が向かなかった。
あっと、思った瞬間、たしぎは何かにつまづいて転んでいた。
「いったぁ〜。」
四つん這いになって、その障害物に目を向けると
道に投げ出すように伸びた人の足だった。
よく見覚えのあるブーツ。
「あぁ?またお前か。」
桜の木の幹にもたれ、腕を組んでいた男が
目を開いた。
萌黄色の髪の毛は、よく知っている。
「ま、またとは何ですか!?ロロノア!」
思わぬ再会に、たしぎははからずも心が躍った。
「遅かったじゃねぇか。どんだけ寝坊してんだ?」
「なっ!元はと言えば、ロロノアのせいでしょう!!!」
ふと、たしぎはゾロが自分を待っていたことに気づいた。
この道を行くように教えてくれた夫婦は、
ゾロもまた、この道にいることを知っていたのだろう。
「オレが何かしたか?」
「したじゃないですか!!!」
思い出し、顔を赤らめる。
その先が続かず、たしぎは、口をパクパクするしか出来ない。
その様子に、ふっとゾロが笑う。
まぶしそうに目を細める顔は、普段よりも
やわらかく見えるのは気のせいだろうか。
ゾロの様子に、たしぎもつっかるのはやめにした。
ゾロは身体をずらし、隣を空けると、
たしぎはその空間に腰を下ろした。
「もう、桜の季節なんですね。」
「そうだな。」
もうって、ロロノアとこんな風に
桜を眺めることなんて、なかったけど・・・
たしぎは、なんだか嬉しくなった。
「花見酒があれば言うことねぇんだがな。」
「まだ、飲むんですか?」
あきれてたしぎはクスリと笑う。
「お花見なんですから、ちゃんと花を愛でましょうよ!
ロロノア、知ってます?
紅時雨っていう桜もあるんですよ。こう、花びらが幾重にも重なって
濃い桜色で、花が、ふっくらしてるっていうか。」
自分の愛刀と同じ名を持つ桜を、うれしそうに語るたしぎの言葉に
ゾロは黙って耳を傾けていた。
これはこれで、文句はねぇけどな。
見上げれば花、隣にも花。
ゾロは、満足げににやりと笑った。
ゆるりと流れるこのひと時こそが、
このうえなく贅沢だと。
たしぎの身体が、自然とゾロに触れる。
ゾロは、たしぎのぬくもりを受け止めた。
二羽のメジロが桜の花の蜜を吸いに
枝から枝へとを飛び回っている。
チィチチチ
たしぎが見上げると、
人の気配に、パタパタと飛び去っていった。
小さくなるメジロの姿を追うように、
どちらからともなく、立ち上がる。
「行くか。」
「行きましょうか。」
重なる声。
ゾロは、大きく背を伸ばすと、首をまわした。
絡み合う視線が、自然と離れて、前を向く。
さわさわと、撫でるように吹く風の中、
桜の並木の下を二つの影が揺れて小さくなっていった。
<完>